災害支援活動
活動報告
activity

全清連、令和元年台風19号による被災地支援に出動

=長野市・千曲市で延べ13日間、458人、317台展開=

令和元年10月12日に猛烈な勢力を維持したまま伊豆半島に上陸した台風19号は、関東や甲信、東北地区に記録的な大雨をもたらし、各地で堤防決壊、河川の氾濫を引き起こすなど甚大な被害をもたらした。(一社)全国清掃事業連合会(全清連・三井弘樹会長)は環境省の要請に基づき、災害廃棄物処理支援ネットワーク(D.waste-Net)の初動対応メンバーとして、とくに被害が大きかった地域のひとつである長野市、千曲市の災害廃棄物処理支援活動に出動した。支援は第1陣が10月26日~11月1日、第2陣は11月2日~7日までそれぞれ現地に入り、13日間にわたり人員延べ458人、車両231台、重機86台という規模で作業を展開。市内に積み上げられた災害廃棄物5479立方メートルを、市が指定する仮置き場まで運搬した。

台風19号の被害を「激甚災害」に指定

令和元年9月および10月に、日本には観測史上最強クラスの2つの台風が襲来した。「台風15号」と「台風19号」だ。9月9日に三浦半島を通過した「台風15号」は、東京湾を抜けて千葉市付近に上陸し茨城県水戸市付近で海上に出るという進路をとったが、直撃を受けた千葉県では強風、大雨により停電が2週間も続き断水も長期化した。強風で市原市のゴルフ練習場の鉄柱が住宅に倒れ込み、また鋸南町や南房総市などでは数多くの家の屋根瓦が吹き飛ばされ破損した。応急措置としてブルーシートをかけた家々の生々しい映像が幾度もテレビで流されていたが、こうした様相からしてもいかに凄まじい勢力だったかがわかる。
ところがそれから1カ月後の10月12日。猛烈な勢力の「台風19号」が追い打ちをかける。勢力が衰えないまま伊豆半島に上陸した台風19号は、関東地方と福島県を横断し翌13日には三陸沖に達したが、これまでの観測史上で1位を更新する豪雨により東日本を中心に堤防決壊や河川の氾濫が相次ぎ、広範囲で甚大な被害をもたらした。100名近い尊い命が奪われ、住宅被害は全壊2400棟、半壊1万6000棟、床上浸水2万棟、床下浸水3万棟という爪痕を残した。
政府は10月13日、「非常災害対策本部」を設置して対応、同日は河野防衛大臣より自衛隊行動命令が発出され、全国の自衛隊員3万1000人規模で被災地の支援・救援活動を開始した。また、被害の甚大さに鑑みて政府は同29日に台風としては初めての「激甚災害」に指定することを決定した。環境省も災害対応に追われた。災害廃棄物対策室は各地方環境事務所へ被害情報の収集を指示するとともに各地に職員を派遣して現地確認を実施。関東ブロックの自治体に対しても広域処理受入れ施設の事前調査を依頼するとともに応援人員の派遣を要請した。甚大な被害により大量の災害廃棄物が発生していることから環境省は、同15日にD.waste-Netの初動対応メンバーに災害廃棄物処理の協力要請を発出した。

今までの経験値が通用しない状況も

全清連は環境省の要請を受け、さらに長野市の千曲川氾濫地域の災害廃棄物処理支援が必要とのことから10月19日、三井会長、大前副会長(大阪)ら6名で千曲川の堤防決壊で被害が大きかった穂保(ほやす)地区を中心に現地調査に入った。が、その光景に一同は愕然とする。その様子を三井会長は10月23日に開催された全清連全国研修大会のあいさつの中で次のように語っている。「今まで東日本大震災、熊本地震、広島の土砂災害、西日本豪雨災害など支援活動をしてまいりました。そのときの経験値があると思っていたのですが、千曲川の穂保地区。リンゴ畑がありリンゴ農家があるところですが、それを見たときは愕然というか、手のつけようのないというか……。そんな思いで帰ってまいりました」と。
「それを見たとき」の「それ」とは、穂保地区の中で住民の排出場所として要所となった「赤沼公園」に、うず高く積まれた膨大な量の浸水災害ごみを指すのだろう。

「勝手仮置き場」と言うけれど

「赤沼公園」周辺の被害を受けた1軒のお宅におじゃました。1階部分の内部は家財道具も何もない。間仕切りの壁も外周壁もほとんどない。すっぽり抜けてしまった感じで、人間の身体に喩えると「骨」だけしか残っていないような状態だ。決壊した土砂混じりの大水が一気に流れ込み、家財道具すべてを飲み込んだのだ。水をたっぷり含んだ間仕切りの石膏ボードの壁はグズグズになって半分以上剥がれ落ちてしまったようにも見える。外から差し込む光がまぶしい。ボランティアのメンバーが床板を剥がしていた。77歳だというこの家のご主人が「この辺まで(水が)来ましたよ」と指先を残った壁の上部に伸ばして指し示す。2mは優に超えている。「今はここから車で15分ぐらい行ったアパートに住んでいます。家の修復ですか? う~ん、1年ぐらいはかかるんじゃないだろうか。これから冬を迎えるし……」。言葉が沈みがちだ。穂保の堤防決壊現場では、南北約5㎞にわたって浸水。深さは最大で4.3mという推定値も出されており、こうした家々がその惨状を物語っている。
面積2ヘクタールの「赤沼公園」は、市が指定する「仮置き場」ではない。が、そこを市民やボランティアが排出場所としたのは、指定仮置き場がかなり遠くにあることと、一刻も早く災害ごみを排出して日常生活に戻りたいという気持ちからだ。市は仮置き場を3カ所設置しているが、いずれも被害が大きい地域から車で片道1時間近くかかり、道路が混雑するとそれ以上の時間を食う。そもそも車を震災で失った市民が多く、指定仮置き場へ搬入するのは物理的に困難。そのため近くの「公園」や、ちょっとした「空き地」などに片付けごみを排出せざるを得ないという状況が生まれる。
誰かがひとつの場所にごみを排出する。するとそこに次々とごみが出される。「ごみがごみを呼ぶ」。排出されているごみは、可燃・不燃、粗大、布団やマットレス、畳、家電類、椅子や木質ボード類、土砂・がれき類、中には灯油やガソリン、農薬、ガスボンベといった危険物も見られるといった混合廃棄物状態で、泥水をかぶったピアノまで出されていたのには正直驚いた。こうした排出場所が無数にあり、これを現地では「仮置き場」ならぬ住民が勝手に出しているからとシニカルっぽく「勝手仮置き場」と言っていたが、状況が状況だけにこの行為を誰が責められようか。

災害ごみが積み上がるなかで

遠くにある市が指定する「仮置き場」への持込みはそれほどなく、点在する「勝手仮置き場」に排出するごみの量が日増しに積み上がっていく。「赤沼公園」にはボランティアや地元住民の軽トラックがひっきりなしに災害ごみを運んでくる。ボランティアの軽トラの数は「穂保地区だけでも100台以上はある」との話もあり、昼近くになると災害ごみを積んだ軽トラが数珠つなぎになる。支援に入った自衛隊も公園内に堆積する災害ごみの運搬を行おうとするが、軽トラが切れ目なく入ってくるため作業は夜間に限定されるという状況のなか、全清連支援部隊の第1陣が到着する。
全清連支援部隊の第1陣は、10月26日から11月1日までの1週間の支援作業日程だが、前日に環境省担当者や長野市の担当者、自衛隊、ボランティアといった関係者らと打ち合わせを行っており、意見交換や情報収集などにつとめた。――あちこちにある「勝手仮置き場」には災害ごみが積み上がっており、道路が狭いこともあって交通の妨げになっている。赤沼公園に廃家電が増えて災害ごみ搬出の障害になっている等々――の意見が出された。そのため全清連支援部隊としてはメインの「赤沼公園」を含めて、点在する「勝手仮置き場」の災害ごみを、廃家電を含めて市指定の「仮置き場」である「長野市営更北体育館」と「飯綱公園東グラウンド」の2カ所に運搬することとした。
初日の26日は午後1時より長野市「再生資源センター」で出発式を行った。環境省から応援に駆けつけた庄司真憲課長および長野市の宮尾正彦環境部長から感謝の言葉が述べられ、この後、全清連三井弘樹会長がくれぐれも気を付けて怪我をしないようになど注意事項を含めて檄を飛ばし、支援隊員たちの支援活動がスタートした。

全清連の支援活動は復旧に向けての第一歩

赤沼公園の作業では、当初隊員たちは積み上がっている膨大な災害ごみの量を前に言葉を失い、また水分を含みカビが発生しかかっていた畳などに戸惑いもみられた。しかも赤沼公園は道幅が狭い住宅街のエリアであるため、住民やボランティアの搬入車両で渋滞が生じて作業が思うに任せない。災害ごみが山積みになった公園の中は、住民・ボランティア・自衛隊・全清連支援部隊が混在し、動きに窮屈さを覚える。
しかし、赤沼公園以外の「勝手仮置き場」ではこんな光景も。作業の合間、隊員に住民から声がかけられた。「ごみの片付けに来てくれたのですか?」。「ええ……。それほどできませんけれど」というと、「本当にありがたい。(片付けに来てくれたのは)あなた方が最初ですよ」と目を潤ませながら感謝の言葉を口にする。日々増えていく災害ごみの量に対する不安、誰も収集に来てくれないことへの心細さなどから一挙に解放されたのだろう。被災地における災害ごみの片づけは、被災者の不安やストレスを取り除くことでもあり、そのことは被災者にとって日常生活に戻ることへの第一歩との感覚を持つのではないか。全清連支援活動は、復旧に向けての初動部分、切り口の部分を担っている。
第1陣は「赤沼公園」への搬入渋滞解消策として、公園搬入ルート上にある「長沼北部りんご共撰所」に着目。ここを整理して赤沼公園から2トン~4トンダンプに積んだ災害ごみを長沼北部りんご共撰所で展開し、10トンダンプに積み替えて市の指定仮置き場に搬入すれば効率が上がるのではと考えた。実践に移すと具合がいい。活動実績が一挙に伸びた。

LINEによる情報共有、重機とダンプをメインに

第1陣の活動を引き継ぐ形で11月2日からは第2陣の支援活動部隊が入った。同7日までの予定だ。メンバー全員が重要連絡事項や各現場の作業進捗状況などの把握ができ、指定仮置き場や各排出現場などの位置を確認できるようスマートフォンの無料通信アプリで「グループLINE」を組み、「グーグルマップ」に地点登録して情報の共有化を図った。
第1陣の支援活動から1週間が経過する。「赤沼公園」には依然として住民やボランティアの軽トラによる災害ごみ搬入が続いているが、変化も見られる。全清連の支援部隊の活動や自衛隊の夜間搬出作業により、当初よりもごみ量がやや減ってきているようだ。軽トラで持ち込まれる災害ごみは自衛隊が手伝って、ごみの種類ごとの場所に下ろしている光景が目に入る。ここでの第2陣の活動は、行政からの要請もあって家電と畳を中心に市の指定仮置き場に運搬すること。重機とダンプによる積込みがメインになる。車1台が通るのがやっとという狭路のため、災害ごみ搬入車に道路を優先的に使ってもらい、全清連のメンバーはここで待機して積込んで搬出という流れになる。

住民からの感謝や実績を高く評価する声

東日本大震災、熊本地震、西日本豪雨、そして今回の台風19号による千曲川堤防決壊による浸水災害と、全清連はそれぞれ支援活動を展開してきた。しかし、前回の経験があるからと思って来てみると毎回状況が違う。災害ごみの種類も違う。たとえば東日本大震災はそれこそ様々な物が、熊本地震はブロック塀や瓦、ガラス類が比較的多かった。これらをパッカー車に手積みして仮置き場まで運搬するというのがこれまでの形だった。ごみの種類は違っても、ある地域を任されて戸別収集するというパターンが多かったわけだが、今回の場合は戸別収集がほとんどなくパッカー車の出番は少なかった。手積みはかなりきつく、重機とダンプによる積込み・運搬が主流になった。状況が違ってくると作業も違ってくる。
また今回のように現場の道路が狭路で入り組んでいるというのも今までになかったし、行政が指定する仮置き場が現場から車で片道1時間近くかかるという遠方にあることもかつて経験したことがなかった。土地勘のない場所で、しかも作業環境も決して良いとはいえない中での支援活動だったが、住民からの感謝の言葉や、自衛隊や関係部署などからはその実績に舌を巻き高く評価する声が聞かれた。被災地の復旧に向けての第一歩となる活動となった。

支援部隊第1陣に参加したのは、愛知県、三重県、岐阜県、京都府、新潟県、静岡県、広島県、鳥取県の1府7県の組合。
活動期間10月26日~11月1日。延べ車両ダンプなど133台。ユンボなど重機41台。人員250名を投入。2462立方メートルの災害ごみを指定仮置き場に搬入。搬入回数361回。

第2陣に参加したのは、大阪府、高松市、山口県、鳥取県、広島県の1府1市3県。
活動期間11月2日~11月7日。延べ車両ダンプなど98台。ユンボなど重機45台。人員208名を投入。3017立方メートルの災害ごみを指定仮置き場に搬入。搬入回数305回。