活動報告
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活動報告

  • 全清連、令和元年台風19号による被災地支援に出動

    =長野市・千曲市で延べ13日間、458人、317台展開=

    令和元年10月12日に猛烈な勢力を維持したまま伊豆半島に上陸した台風19号は、関東や甲信、東北地区に記録的な大雨をもたらし、各地で堤防決壊、河川の氾濫を引き起こすなど甚大な被害をもたらした。(一社)全国清掃事業連合会(全清連・三井弘樹会長)は環境省の要請に基づき、災害廃棄物処理支援ネットワーク(D.waste-Net)の初動対応メンバーとして、とくに被害が大きかった地域のひとつである長野市、千曲市の災害廃棄物処理支援活動に出動した。支援は第1陣が10月26日~11月1日、第2陣は11月2日~7日までそれぞれ現地に入り、13日間にわたり人員延べ458人、車両231台、重機86台という規模で作業を展開。市内に積み上げられた災害廃棄物5479立方メートルを、市が指定する仮置き場まで運搬した。

    台風19号の被害を「激甚災害」に指定

    令和元年9月および10月に、日本には観測史上最強クラスの2つの台風が襲来した。「台風15号」と「台風19号」だ。9月9日に三浦半島を通過した「台風15号」は、東京湾を抜けて千葉市付近に上陸し茨城県水戸市付近で海上に出るという進路をとったが、直撃を受けた千葉県では強風、大雨により停電が2週間も続き断水も長期化した。強風で市原市のゴルフ練習場の鉄柱が住宅に倒れ込み、また鋸南町や南房総市などでは数多くの家の屋根瓦が吹き飛ばされ破損した。応急措置としてブルーシートをかけた家々の生々しい映像が幾度もテレビで流されていたが、こうした様相からしてもいかに凄まじい勢力だったかがわかる。
    ところがそれから1カ月後の10月12日。猛烈な勢力の「台風19号」が追い打ちをかける。勢力が衰えないまま伊豆半島に上陸した台風19号は、関東地方と福島県を横断し翌13日には三陸沖に達したが、これまでの観測史上で1位を更新する豪雨により東日本を中心に堤防決壊や河川の氾濫が相次ぎ、広範囲で甚大な被害をもたらした。100名近い尊い命が奪われ、住宅被害は全壊2400棟、半壊1万6000棟、床上浸水2万棟、床下浸水3万棟という爪痕を残した。
    政府は10月13日、「非常災害対策本部」を設置して対応、同日は河野防衛大臣より自衛隊行動命令が発出され、全国の自衛隊員3万1000人規模で被災地の支援・救援活動を開始した。また、被害の甚大さに鑑みて政府は同29日に台風としては初めての「激甚災害」に指定することを決定した。環境省も災害対応に追われた。災害廃棄物対策室は各地方環境事務所へ被害情報の収集を指示するとともに各地に職員を派遣して現地確認を実施。関東ブロックの自治体に対しても広域処理受入れ施設の事前調査を依頼するとともに応援人員の派遣を要請した。甚大な被害により大量の災害廃棄物が発生していることから環境省は、同15日にD.waste-Netの初動対応メンバーに災害廃棄物処理の協力要請を発出した。

    今までの経験値が通用しない状況も

    全清連は環境省の要請を受け、さらに長野市の千曲川氾濫地域の災害廃棄物処理支援が必要とのことから10月19日、三井会長、大前副会長(大阪)ら6名で千曲川の堤防決壊で被害が大きかった穂保(ほやす)地区を中心に現地調査に入った。が、その光景に一同は愕然とする。その様子を三井会長は10月23日に開催された全清連全国研修大会のあいさつの中で次のように語っている。「今まで東日本大震災、熊本地震、広島の土砂災害、西日本豪雨災害など支援活動をしてまいりました。そのときの経験値があると思っていたのですが、千曲川の穂保地区。リンゴ畑がありリンゴ農家があるところですが、それを見たときは愕然というか、手のつけようのないというか……。そんな思いで帰ってまいりました」と。
    「それを見たとき」の「それ」とは、穂保地区の中で住民の排出場所として要所となった「赤沼公園」に、うず高く積まれた膨大な量の浸水災害ごみを指すのだろう。

    「勝手仮置き場」と言うけれど

    「赤沼公園」周辺の被害を受けた1軒のお宅におじゃました。1階部分の内部は家財道具も何もない。間仕切りの壁も外周壁もほとんどない。すっぽり抜けてしまった感じで、人間の身体に喩えると「骨」だけしか残っていないような状態だ。決壊した土砂混じりの大水が一気に流れ込み、家財道具すべてを飲み込んだのだ。水をたっぷり含んだ間仕切りの石膏ボードの壁はグズグズになって半分以上剥がれ落ちてしまったようにも見える。外から差し込む光がまぶしい。ボランティアのメンバーが床板を剥がしていた。77歳だというこの家のご主人が「この辺まで(水が)来ましたよ」と指先を残った壁の上部に伸ばして指し示す。2mは優に超えている。「今はここから車で15分ぐらい行ったアパートに住んでいます。家の修復ですか? う~ん、1年ぐらいはかかるんじゃないだろうか。これから冬を迎えるし……」。言葉が沈みがちだ。穂保の堤防決壊現場では、南北約5㎞にわたって浸水。深さは最大で4.3mという推定値も出されており、こうした家々がその惨状を物語っている。
    面積2ヘクタールの「赤沼公園」は、市が指定する「仮置き場」ではない。が、そこを市民やボランティアが排出場所としたのは、指定仮置き場がかなり遠くにあることと、一刻も早く災害ごみを排出して日常生活に戻りたいという気持ちからだ。市は仮置き場を3カ所設置しているが、いずれも被害が大きい地域から車で片道1時間近くかかり、道路が混雑するとそれ以上の時間を食う。そもそも車を震災で失った市民が多く、指定仮置き場へ搬入するのは物理的に困難。そのため近くの「公園」や、ちょっとした「空き地」などに片付けごみを排出せざるを得ないという状況が生まれる。
    誰かがひとつの場所にごみを排出する。するとそこに次々とごみが出される。「ごみがごみを呼ぶ」。排出されているごみは、可燃・不燃、粗大、布団やマットレス、畳、家電類、椅子や木質ボード類、土砂・がれき類、中には灯油やガソリン、農薬、ガスボンベといった危険物も見られるといった混合廃棄物状態で、泥水をかぶったピアノまで出されていたのには正直驚いた。こうした排出場所が無数にあり、これを現地では「仮置き場」ならぬ住民が勝手に出しているからとシニカルっぽく「勝手仮置き場」と言っていたが、状況が状況だけにこの行為を誰が責められようか。

    災害ごみが積み上がるなかで

    遠くにある市が指定する「仮置き場」への持込みはそれほどなく、点在する「勝手仮置き場」に排出するごみの量が日増しに積み上がっていく。「赤沼公園」にはボランティアや地元住民の軽トラックがひっきりなしに災害ごみを運んでくる。ボランティアの軽トラの数は「穂保地区だけでも100台以上はある」との話もあり、昼近くになると災害ごみを積んだ軽トラが数珠つなぎになる。支援に入った自衛隊も公園内に堆積する災害ごみの運搬を行おうとするが、軽トラが切れ目なく入ってくるため作業は夜間に限定されるという状況のなか、全清連支援部隊の第1陣が到着する。
    全清連支援部隊の第1陣は、10月26日から11月1日までの1週間の支援作業日程だが、前日に環境省担当者や長野市の担当者、自衛隊、ボランティアといった関係者らと打ち合わせを行っており、意見交換や情報収集などにつとめた。――あちこちにある「勝手仮置き場」には災害ごみが積み上がっており、道路が狭いこともあって交通の妨げになっている。赤沼公園に廃家電が増えて災害ごみ搬出の障害になっている等々――の意見が出された。そのため全清連支援部隊としてはメインの「赤沼公園」を含めて、点在する「勝手仮置き場」の災害ごみを、廃家電を含めて市指定の「仮置き場」である「長野市営更北体育館」と「飯綱公園東グラウンド」の2カ所に運搬することとした。
    初日の26日は午後1時より長野市「再生資源センター」で出発式を行った。環境省から応援に駆けつけた庄司真憲課長および長野市の宮尾正彦環境部長から感謝の言葉が述べられ、この後、全清連三井弘樹会長がくれぐれも気を付けて怪我をしないようになど注意事項を含めて檄を飛ばし、支援隊員たちの支援活動がスタートした。

    全清連の支援活動は復旧に向けての第一歩

    赤沼公園の作業では、当初隊員たちは積み上がっている膨大な災害ごみの量を前に言葉を失い、また水分を含みカビが発生しかかっていた畳などに戸惑いもみられた。しかも赤沼公園は道幅が狭い住宅街のエリアであるため、住民やボランティアの搬入車両で渋滞が生じて作業が思うに任せない。災害ごみが山積みになった公園の中は、住民・ボランティア・自衛隊・全清連支援部隊が混在し、動きに窮屈さを覚える。
    しかし、赤沼公園以外の「勝手仮置き場」ではこんな光景も。作業の合間、隊員に住民から声がかけられた。「ごみの片付けに来てくれたのですか?」。「ええ……。それほどできませんけれど」というと、「本当にありがたい。(片付けに来てくれたのは)あなた方が最初ですよ」と目を潤ませながら感謝の言葉を口にする。日々増えていく災害ごみの量に対する不安、誰も収集に来てくれないことへの心細さなどから一挙に解放されたのだろう。被災地における災害ごみの片づけは、被災者の不安やストレスを取り除くことでもあり、そのことは被災者にとって日常生活に戻ることへの第一歩との感覚を持つのではないか。全清連支援活動は、復旧に向けての初動部分、切り口の部分を担っている。
    第1陣は「赤沼公園」への搬入渋滞解消策として、公園搬入ルート上にある「長沼北部りんご共撰所」に着目。ここを整理して赤沼公園から2トン~4トンダンプに積んだ災害ごみを長沼北部りんご共撰所で展開し、10トンダンプに積み替えて市の指定仮置き場に搬入すれば効率が上がるのではと考えた。実践に移すと具合がいい。活動実績が一挙に伸びた。

    LINEによる情報共有、重機とダンプをメインに

    第1陣の活動を引き継ぐ形で11月2日からは第2陣の支援活動部隊が入った。同7日までの予定だ。メンバー全員が重要連絡事項や各現場の作業進捗状況などの把握ができ、指定仮置き場や各排出現場などの位置を確認できるようスマートフォンの無料通信アプリで「グループLINE」を組み、「グーグルマップ」に地点登録して情報の共有化を図った。
    第1陣の支援活動から1週間が経過する。「赤沼公園」には依然として住民やボランティアの軽トラによる災害ごみ搬入が続いているが、変化も見られる。全清連の支援部隊の活動や自衛隊の夜間搬出作業により、当初よりもごみ量がやや減ってきているようだ。軽トラで持ち込まれる災害ごみは自衛隊が手伝って、ごみの種類ごとの場所に下ろしている光景が目に入る。ここでの第2陣の活動は、行政からの要請もあって家電と畳を中心に市の指定仮置き場に運搬すること。重機とダンプによる積込みがメインになる。車1台が通るのがやっとという狭路のため、災害ごみ搬入車に道路を優先的に使ってもらい、全清連のメンバーはここで待機して積込んで搬出という流れになる。

    住民からの感謝や実績を高く評価する声

    東日本大震災、熊本地震、西日本豪雨、そして今回の台風19号による千曲川堤防決壊による浸水災害と、全清連はそれぞれ支援活動を展開してきた。しかし、前回の経験があるからと思って来てみると毎回状況が違う。災害ごみの種類も違う。たとえば東日本大震災はそれこそ様々な物が、熊本地震はブロック塀や瓦、ガラス類が比較的多かった。これらをパッカー車に手積みして仮置き場まで運搬するというのがこれまでの形だった。ごみの種類は違っても、ある地域を任されて戸別収集するというパターンが多かったわけだが、今回の場合は戸別収集がほとんどなくパッカー車の出番は少なかった。手積みはかなりきつく、重機とダンプによる積込み・運搬が主流になった。状況が違ってくると作業も違ってくる。
    また今回のように現場の道路が狭路で入り組んでいるというのも今までになかったし、行政が指定する仮置き場が現場から車で片道1時間近くかかるという遠方にあることもかつて経験したことがなかった。土地勘のない場所で、しかも作業環境も決して良いとはいえない中での支援活動だったが、住民からの感謝の言葉や、自衛隊や関係部署などからはその実績に舌を巻き高く評価する声が聞かれた。被災地の復旧に向けての第一歩となる活動となった。

    支援部隊第1陣に参加したのは、愛知県、三重県、岐阜県、京都府、新潟県、静岡県、広島県、鳥取県の1府7県の組合。
    活動期間10月26日~11月1日。延べ車両ダンプなど133台。ユンボなど重機41台。人員250名を投入。2462立方メートルの災害ごみを指定仮置き場に搬入。搬入回数361回。

    第2陣に参加したのは、大阪府、高松市、山口県、鳥取県、広島県の1府1市3県。
    活動期間11月2日~11月7日。延べ車両ダンプなど98台。ユンボなど重機45台。人員208名を投入。3017立方メートルの災害ごみを指定仮置き場に搬入。搬入回数305回。

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  • 平成30年度環境大臣表彰

    平成30年度 
    大規模自然災害等の被災地域支援活動に対する災害対応支援環境大臣表彰式

    環境省は12月19日、平成30年7月豪雨、北海道胆振東部地震、台風21号などの被災地域に対し、災害廃棄物処理や被災ペット対策などのために人的、物的協力等の支援活動を行った団体および自治体に対して、その活動をたたえ、社会に広く知らせるため環境大臣から表彰状を授与した。

    災害廃棄物関係で表彰状を授与されたのは(一社)全国清掃事業連合会をはじめ18団体と116自治体。午前9時半から環境省第1会議室で行われた表彰式では、主催者を代表して原田環境大臣が次のようにあいさつを述べた。「今年は7月豪雨や台風21号など大きな自然災害が相次ぎ、日本列島に甚大な被害をもたらしました。すべての被災地の皆様にお見舞い申し上げます。こうした中、皆様におかれましては、被災地での片付けごみや災害廃棄物の収集運搬、あるいは災害廃棄物処理計画策定に対する技術支援、アスベスト対策、また資機材等の提供など様々な活動に精力的に取り組んでこられました。心から感謝申し上げます。本日はそのご貢献を社会に広く知らせるため表彰式を開催するものです。被災地の一日も早い復旧復興実現と、今後予見される様々な自然災害に備え、今後とも変わらぬご支援ご協力をお願いいたします」。

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  • 西日本豪雨

    全清連、環境省初期対応グループとして平成30年7月豪雨の被災地支援に出動

    広島県全域で延べ31日間、1033名、566台展開

    平30年6月28日から7月8日頃にかけ、西日本を中心に広い範囲で記録的な大雨が襲った。各地域で河川の氾濫や浸水災害、土砂災害等を引き起こし、後に「平成30年7月豪雨(西日本豪雨)」と命名される大災害へと発展した。全国で220名以上の犠牲者を出し、また広島、岡山、愛媛の3県だけで290万tと、平成28年熊本地震とほぼ等しい災害廃棄物が発生した。この様な状況で(一社)全国清掃事業連合会は、環境省の災害廃棄物処理支援ネットワーク(D.Waste—Net)の初期対応グループとして、被害が深刻な地域の一つで、いち早く支援要請が来た広島県三原市を中心に支援活動を展開。同県での活動期間は全域で延べ31日間、人員1033名、車両566台の規模に及び、被災地の災害廃棄物処理を支援した。

    平成30年7月豪雨の被害が広がった要因は、6月29日に発生した台風7号、さらに同台風の影響を受け梅雨前線が停滞し、長期にわたり大雨が降り続いた影響が大きい。気象庁では7月6日、長崎県、福岡県、佐賀県、広島県、岡山県、鳥取県、京都府、兵庫県の順で大雨特別警報を発表。翌7日には岐阜県、8日には高知県と愛媛県、最終的に11府県に警報を発表した。
    各地域では7日から河川の氾濫、土砂災害が生じ始め、電気、ガス、水道、道路など各種インフラが寸断。住宅被害は31道府県で48,470棟、さらに家屋損壊等により広島県で195万8,200t、愛媛県で52万9,539t、岡山県で41万2,900tもの災害廃棄物が発生した。
    全清連の会員には、従業員や施設、車両に大きな被害はなく、発災直後からそれぞれの地元で災害廃棄物収集に取り組んだ。
    岐阜県では、岐阜県清掃事業協同組合(岐清協)が岐阜県との「無償団体救援協定」に基づく要請を受け、10日付で同県関市においてダンプ2台、パッカー車1台、各2名乗車にて、7月12〜27日の期間で13日間の支援活動を実施。
    また被害が大きい広島県では、(一社)広島県清掃事業連合会(広清連)との「災害時無償支援協定」に基づき、10日付で県から広清連に支援要請が寄せられた。これを受け三次市、府中町、海田町、坂町、世羅町、東広島市から要請があり、関係団体との連携のもと各地域で順次支援活動を展開した。
    活動期間は、海田町で14日から延べ12日間、世羅町で10日から延べ12日間、東広島市で7月30日から随時、府中町で15・28日の2日間、坂町で16日から延べ9日間、また三次市は被災直後の9日から会員一社が活動していたが、10日から広清連の支援部隊が加わり延べ22日間、広島市も広島市廃棄物処理事業協同組合を通じ延べ21日間、支援部隊を派遣し、被災地の収集運搬や、仮置き場からの災害廃棄物転送を支援した。
    一方、全容把握を進めていた環境省でも7月12日、全清連に対し廃棄物適正処理推進課長名で「平成30年7月豪雨により生じた災害廃棄物処理へのご協力について」とする支援要請を発出。これにより、全清連としても環境省の災害廃棄物処理支援ネットワーク(D.Waste—Net)の初期対応グループとして出動することが決まり、いち早く全清連に直接支援要請が出された広島県三原市へ向かうことになった。

    第1次支援は7月16日から7日間、広清連、鳥取県清掃事業協同組合、山口県清掃事業連合会、さらに地元の三原市清掃事業協同組合の合同チームが、地域の災害廃棄物収集運搬に当たった。その後は一度、災害廃棄物の収集運搬を電話受付によるスポット対応に切り替えたが、被害の大きさから想定より多くの依頼が殺到。対応が困難と判断した三原市はさらなる支援を全清連に要請し、第2次支援として広清連、(一社)大阪府清掃事業連合会の合同チームが8月6日から5日間現地に入った。第一次、二次合わせ、延べ12日間、人員282名、車両138台の規模で被災地を支援した。

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  • 熊本地震

    熊本地震の震災廃棄物

    全清連、処理支援に向かう

    4月14日に震度7の地震が発生し、その28時間後の16日にも震度7の地震に見舞われた「熊本地震」。現地では発災当初、食料・水・トイレ・住居などの確保難に陥ったが、それと同時に地震によって発生した震災廃棄物の処理に困り果てていた。環境省から全清連に支援準備の要請が入る。熊本市からは支援要請が届いた。これを受けて全清連は急きょ体制を組み、余震が続く熊本市に向かった。

    支援要請を受けて動ける
    ごみ処理に困っているところには本来、要請があろうがなかろうが支援に駆けつけるのが筋といえる。しかし今回のような震災廃棄物の処理支援になると相手の要請がなければ動けない。というのもこのような場合、現地は混乱を極めており、それを考慮しないで支援に行ったらさらに混乱に輪をかけ、現地の人たちにかえって迷惑をかけることにもなりかねないからだ。
    全清連の支援体制は各県連から、支援が可能な車両、人員を出してもらい活動にあたるというもので、熊本県、大分県、福岡県、中・四国協議会(山口県、広島県、鳥取県、高松)の各県連から支援が出た。支援活動期間は各県連の事情によって多少の違いはあるが、ゴールデンウイークの4月30日?5月9日、5月14日、15日の12日間。パッカー車、ダンプ車、アームロール車等、延べにして車両台数347台、作業人員は717名という規模。

    復旧支援で被災地に少しでも貢献を
    5月3日午前7時。焼却施設である熊本市東部環境工場近くの「ふれあい公園」で、支援活動の人員が集合し激励会が行われた。激励会では三井会長と熊本市の川口環境部長があいさつ。
    三井会長は「本日は中四国ブロックから香川県、鳥取県、山口県、広島県、九州ブロックから福岡が参加しております。まず厚く御礼申し上げます。大変な災害です。まだ余震も続いています。どうか十分気を付けて、怪我などないよう、事故のないように一生懸命頑張っていただきたい」
    「私たちはちょうど5年前、東日本震災で現地に赴き、このような活動をさせていただいた。まさか同じ時期にこうしたことが起こるとは想像もしていなかったわけですが…。皆さまは、特に現場はスペシャリストであります。東日本大震災でも評価を受けたが、今こそこの復興に対して復旧作業に入るわけですが、被災地に少しでも貢献できるよう尽力したいと思いますので、どうかご協力をよろしくお願いします」と述べた。

    応援隊は復興のきっかけ。頑張る気持ちにもなる
    熊本市の川口環境部長は「先日の14日に震度7の地震、その2日後に震度7がもう一度あり、それがかなり致命的でした。熊本市東部の方面でもかなりの倒壊家屋が出て、まだ800人程度が避難生活を余儀なくされている。このような中で、またGWの最中に全清連の皆様が熊本に駆けつけていただいて、こんなにたくさんの人と車を出していただいて、ほんとに感謝しています」
    「いまの熊本市の状況というのは、1回取っても3日ほどでまた元に戻ってしまう。ごみステーションは全部で2万カ所ありますが、その中で出しやすいところはうずたかくたまっている。取っても取っても取り足りないというところがある。今日皆様に行ってもらうところは、収集がかなり遅れているところや、まだ1回も行っていないところで、役所にも電話が殺到しているところです」
    「現場に行くと住民も苦しい状況なので、もしかしたら心ない言葉をかけられたり、これもあれもとお願いされることがあるかもしれません。そこは我慢していただいて、可燃物、不燃物をしっかり分別して仮置き場に収集していただけたらと思います。市民の皆様は自分の近くからごみがなくなるということを、素直に感じられると思いますし、喜ばれると思います。また応援隊が来たということが、復興のひとつのきっかけになって、また頑張ろうという気持ちになると思いますので、今日はよろしくお願いします」と語った。
    このあと環境部長から全清連各県連に対して作業地域のエリア分けが説明され、ガススプレー缶を積んでしまうと火災の原因になります。家電4品目も後回しにしようと考えています。といった注意点も示された。

    住民の反応。感謝を述べる人たち
    普段の熊本市は150台ほどの収集車が動いている。しかし地震発生により震災廃棄物に加えて毎日出る家庭ごみも収集しなくてはならない。余力はない。住民からのクレームは多い。手が回らなくて10日も来ていないということになると苦情に発展する。4回線ある電話が全部ふさがっている状態だとも。内容が少しずつ変わってきて、すぐに取りに来てくれとか、なんで来ないんだとなってくるという。だから「なるべくデカイところから集中して崩していかなくては。今日はそういうところをお願いしようと思う」と川口部長。
    収集について行くと、「(ごみを急いで持ってきて)これは出していいの?」と尋ねる人。「(ほうきとチリとりを持ってきて)あとは私のほうできれいにしておきますから。ありがとうございます」とお礼を述べる人。「(作業の様子を眺めながら)本当に助かります。ごみが溜まっちゃって、ブラインドカーブがあちこちに。子供が魅かれないか心配だった」とほっとした表情の人。「市とは別の方々なんですよね? 本当にありがとうございます」と頭を下げる人。住民からいろんな声をかけられる。感謝の言葉をかけられると収集作業の方々の顔が思わずほころぶ。
    収集した廃棄物は仮置場に集め、そこから焼却や破砕・埋立てなどの処理に向けられる。

    丸川環境大臣が視察。三井会長とあいさつを交わす。

    昼から天候が変化し猛烈な雨風になった。収集の現場では水を吸ったごみが重さを増す。こうした中で丸川環境大臣が被災地の視察に訪れた。三井会長とあいさつを交わし、そのまま清掃工場の中に。
    1日の作業が終わり夕食の時間となった。近くの食堂の座敷に全員が集合。ビールが出された。乾杯ではなく、「がんばろう」という発声で杯を空ける。
    宿泊所は熊本市から東部環境工場の会議室の提供を受けた。旅館などは地震によって少なからず被害を受け、宿泊できるところは限られ、予約できない状態だからだ。各地の自治体から応援部隊が来ているようだ。この宿泊所では岡山市の直営職員の方々とご一緒だった。寝たい人から順次寝る。時折余震を感じるが、収集作業で疲れているため起き出す人はいない。どこからともなく、かすかにいびきが聞こえてくる。

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  • 東日本大震災

    東日本大震災〜岩手県大槌町に災害救援隊を派遣

    ダンプ969台分のがれき等を撤去

    平成23年3月11日に発生した東日本太平洋沖地震は、日本観測史上最大のマグニチュード9.0を記録し、東北地方を中心に甚大な被害をもたらした。また沿岸部は地震で引き起こされた大津波により壊滅状態に陥った。このような状況の中、(一社)全国清掃事業連合会は、地域の生活環境の保全、公衆衛生の確保・向上を使命として一般廃棄物の適正処理に従事している立場から、環境省災害廃棄物対策特別本部からの支援要請に直ちに応え、会員、各県連に支援体制構築を呼びかけた。
    未曾有の災害を前に、国、県、市町村の連携にも混乱が生じ、実際の支援活動は4月以降にずれ込むこととなったが、全国の会員で組織された全清連の災害救援隊は4月28日〜5月14日まで岩手県の大槌町で活動を行った。市内の至る所に残されたガレキ、廃家財、粗大ごみ等、災害廃棄物の撤去を支援。約3週間で、持ち込みダンプによる運搬台数は延べ969台、運搬量は7752m3に達した。当初は不審の目で見られることもあったが、真摯な作業態度と熱意が通じ、被災者からは感謝の声が多く寄せられるようになった。5月11日には岩手県環境生活部や環境省自然環境局が激励に訪問。また地元マスコミの盛岡タイムスや岩手日報の注目を浴びるまでになった。

    28日から大槌町で活動開始

    被災地での廃棄物処理状況は、どこも充実したレベルとは程遠く、多くの被災者が困窮している状態であった。特に大槌町では、市街地全域が壊滅状態に陥ったため、他の市町村と比べ復旧に遅れを生じていた。手付かずのガレキの山が町内の至る所に散乱しており、全清連は地元と連携しながら同町で災害支援を行うことに決定。一刻も早い支援が必要とされていたことから、翌週の4月27日には現地へ向かうことになった。
    大槌町内では、被災者と協議の上で支援現場を決定。その後、車両15台を2〜3チームに分け、分担することとした。
    また作業に当たっては、人力での作業、積み込みが困難な大型廃棄物があることも想定していた。そこでオペレーター付きユンボ3台を手配していたが、当日搬送されてきたユンボはいずれも0.5m3の中型クラス以上であった。市街地はゴミとガレキで埋め尽くされており、作業路の確保もままならない状況を考えると大きすぎて機動性・運用性に欠いている。広範囲にわたる震災の影響で、どの現場もユンボが不足、取り合いになっている状況では、大きさまで配慮して確保する余裕がなかったようである。さらに3台のユンボに対し、2名のオペレーターしか来ていないというハプニングまであった。
    しかし地元の方に、中型重機が動けそうな現場を探して手配していただくことで作業を開始することができた。オペレーター不足は、全清連隊員の中に操作できる者が居たため事なきを得た。
    一方、支援現場を協議する中で、被災者から不信感を露わにされる一幕もあった。地元避難所の被災住民代表から、第一声で「本当に無償支援ですか?」と聞かれたとのことである。話を聞くと、震災発生直後から今まで、ボランティアと称してNPOや政治関係団体とする団体から、活動後に請求書が送られてくる事件が多発しているというのだ。被災者は多くの支援を求めているが、このようなことでは不信感が先に来るのも仕方ないことである。
    全清連という団体の方針・活動等を説明し、さらに地元被災者と同行していたことで信頼を得ることができたが、被災地支援を巡っては、行政の縦割りや業者の縄張り、利権などのほか、詐欺紛いの問題まで発生しているようだ。
    その後は避難所で生活されている方々から、次々と支援を求める声があがってきた。全清連はその要請に基づき、家財道具の撤去や住宅地の道路に溜まっている粗大ごみ、家電、汚泥、木くず、プラスチック等の収集運搬を実施した。
    また作業を手配していただいた地元の方は「私たちのためにここまでしてくれる団体は他に居ない。何とか応えたい」と個人所有のミニユンボを貸し出してくれたほか、その日の夜に釜石市まで走り、0.25m3のユンボを借りて来た。
    しかしこうした活動への被災者の感謝とは裏腹に、ゼネコンの地元下請け業者などからは、非協力的な雰囲気が少なからず漂って来ていた。手配していた重機とオペレーターが無断で別の現場で作業していたり、ダンプ積み込み時の対応に配慮を欠いていたとのことである。
    初日を終え、全清連のメンバーが宿泊地に戻った夜のミーティングでは、行政を無視した越権行為を行っていないか?ゼネコンの利権侵害と見なされていないか?といった不安から、今後の支援の方向性について議論が行われた。しかし利権・派閥といった問題はあるが、全清連の活動目的「環境保全の推進」「国民の安心・安全」に立ち返り、被災者が求め、対応が可能なことであれば何でもやるとの決意で一致団結した。
    2日目以降は、神社、事業所、個人宅、住宅団地、保育園等と順々に活動。住民の方々から「まともなお礼もできませんが」としながらも、飴やジュースの差し入れと多くの感謝の言葉をいただいた。

    5月6日に第二陣へ作業引継ぎ

    第一次派遣隊が段取りを済ませ、さらに4名の作業員が残ったために、第二次派遣隊のスタートは好調なものとなった。
    第一次派遣隊と同様に盛岡市のホテルを午前6時半に出発、大槌町では5台の重機と手積みで作業を実施した。14日までに、地元建設会社の依頼で、花輪田地区と桜木地区の浸水家屋から家財道具を撤去。大ケロ地区でも途中までしか作業できないのを前提に、一部撤去。また津波が直撃した吉里吉里地区、山田町の水産会社関係、宮古市の水産会社関係から災害廃棄物の撤去を実施した。
    宿泊地では、各ブロックごとに班長および副班長を決め、夕食後にミーティング。その日の反省報告と次の日の行程確認作業を実施。朝礼は班長・副班長がその日の抱負を述べ、隊員の士気を高めた。
    また班長・副班長は作業中も的確な重機の移動、作業指示を行い、頼れる存在となっていた。数日も経つと、他のメンバーも「効率よく動くため」「少しでも復興に近づくため」という意識が働き、隊全体に良い効果をもたらしていた。
    この頃から作業を手配いただいている地元の方から「全清連の活動が評判になっている。あっという間に片付く。凄い連中が来ている」と言われるようになって来ていた。

    4日に撤収、東梅副町長と面会

    被災地からの撤収は、当初の予定通り14日。午前中で作業を打ち切り、大槌町の東梅政昭副町長へ挨拶に伺うこととなった。
    東梅副町長からは「たまたま全清連が片付けてくれたところに、私の家もあった。あれだけのごみがあっという間に撤去されて、全清連の機動力に驚いた」と感謝が伝えられた。
    また最後に14日間の作業の慰労と、地元で世話をしていただいた方々へ感謝を込めて慰労会を開催した。
    出席した被災者は「20年以上かけて汗水流して築き上げたものが、一瞬にしてすべてを失った。茫然自失していたところに、全清連の皆さんが来てくれて、地元の人々も強者たちが来てくれたと喜んだ。たくさんの勇気をもらえたとともに、将来に向けて、負けてたまるか、という思いが込み上げてきた」との言葉をいただけた。

    H23.3.14東北地方太平洋沖地震による災害廃棄物の処理支援への協力について全清連より
    H23.3.14平成23年東北地方太平洋沖地震により生じた災害廃棄物の処理への御協力について環境省災害廃棄物対策特別本部 発出
    H23.3.14今後の支援へのメッセージ議員連盟 会長 中川秀直衆議院議員 より
    H23.3.16東北地方太平洋沖地震の被災地支援について№1全清連より
    H23.3.17東北地方太平洋沖地震の被災地支援について№2全清連より
    H23.3.17緊急理事会 開催のお知らせ全清連より
    H23.3.17計画停電実施時における節電について環境省 廃棄物対策課 発出
    H23.3.18東北地方太平洋沖地震の被災地支援について№3全清連より

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