全清連NEWS
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第111号 令和6年(2024年)4月1日 

災害廃棄物処理支援ネットワークの一員として能登半島地震で4週間の無償支援活動展開~輪島市、穴水町の避難所、仮置場から約171トン運搬~

令和6年1月1日、元旦。新たな年の幕開けは北陸地方、特に能登地方の人々にとっては苦難の年明けとなった。よりにもよって元旦、帰省客も迎えながら多くの人々が家で過ごしていた午後4時10分、令和5年度能登半島地震を大幅に上回るマグニチュード7.6(震源深さ16km)、最大震度7の「令和6年能登半島地震」が発生した。被害は石川県だけでなく、新潟県、富山県、福井県など9府県におよび、死者は244名、さらに11万1572戸もの住宅被害(3月26日時点)が生じた。

(一社)全国清掃事業連合会(全清連)は、環境省・災害廃棄物処理支援ネットワーク初期・応急対応グループの一員として発災後、直ちに無償支援出動に向けた準備を開始。石川県および環境省との協議等を経て、輪島市、穴水町の避難所ごみの収集運搬、仮置場から処理施設への転送支援を実施した。期間は1月22日〜2月17日までの4週間にわたり、収集運搬量は約171トンに達した。

全清連は一般廃棄物収集運搬のプロフェッショナルとして、災害時においても適正処理を通じた地域環境の保全と公衆衛生を確保し、社会の期待にも応えるため、過去の大規模災害時には無償支援活動を実施してきた。

今回の震災においても発災翌日の1月2日、全清連が初動・応急対応グループとして参加する環境省・災害廃棄物処理支援ネットワーク(D.waste-Net)事務局に支援活動に入ることを伝達。それと同時に震災に係るメディア情報の収集と、全清連災害対応委員会の片野宣之委員長に支援活動の出動準備を依頼した。

環境省からは同5日、今後の支援活動に関する打ち合わせについての打診があり、これを受け同11〜12日、全清連災害対応委員会の片野委員長、松浪俊博副委員長、野村俊明委員、橋本祥委員、さらに㈱富山環境整備の石田敦史次長の5名が石川県庁での打ち合わせの上で、輪島市、穴水町における状況確認を行い、再び石川県庁にてどのような支援が必要とされているのか協議を行った。

その後、災害対策委員会は支援計画を策定し、1月16日の第7回理事会で計画の承認を受け、1月22日〜2月17日までにわたる活動を実行に移した。

全清連の地震被害に関連する支援活動は、過去にも東日本大震災、熊本地震などで行なってきたが、今回は半ば陸の孤島と化した被害地でまた異なる困難に直面することになった。

穴水町ふれあい広場(仮置場)での収集

インフラが破壊し尽くされた市街地で適正処理に尽力

高速道路損壊し片道4時間の大渋滞に

能登半島地震の支援活動で最大の障害となったのは、半島特有の地理的条件から来る道路事情の悪さだ。能登半島の背骨ともいえる自動車道「のと里山海道」が使用不能となり、奥能登方面にアクセスする道は一般道のみとなった。

しかしその一般道も崖崩れ、路面崩落が多数発生し、かろうじて通行可能という状況で、迂回しようにも迂回路はすべて極端な遠回りになるか、山中を通過する狭い道路で通行はあまりにも危険だった。そのため余震でいつ再び崩れるか分からないような脆弱な道路にあらゆる支援車両、被災者の車両が集中して、金沢市から輪島市まで片道約4時間という大渋滞を引き起こす結果となった。

奥能登の被害は甚大で復旧進まず

また奥能登地方の被害は同じ石川県でも金沢市のそれとは比べ物にならないほど深刻だった。比較的穏やかな金沢市内を出て奥能登方面に向かうと、七尾市から被害が目立ち始め、穴水町に入ると景色が一変した。半壊した家屋や道路陥没などが目立ち始め、町内中心部に入ると多くの家屋が被災し、信号機は折れ曲がり、道路は注意を要するほどうねりはじめる。これが輪島市に至ると、道路からマンホールが突き出し、車を飲み込むほどの大きな地割れがあちこちに生じ、上下水道は当然のこと、停電した地域も多く、建物に至ってはもはや無事な建物を探す方が難しいという目を覆いたくなるような惨状となった。

震災災害の場合、通常は発災直後から片付けごみなどの災害廃棄物の排出がはじまる。被災者にとってそれが途方もない作業であっても、その行為自体が復旧につながる一歩であり、明日に向けた希望でもある。

しかし今回は、あらゆる建物に応急危険度判定で立入禁止を示す、いわゆる「赤紙」が張られて手が付けられず、確認されるのは片付けごみではなく、主に生活ごみ、避難に関連して排出される毛布等の物品が主だった。

発災後、「見捨てられたのではないか」と感じる被災者もいたそうだが、輪島市だけでも人口2.3万人、1.1万世帯という規模に対して半壊・全壊は6753棟(3月1日時点)で、社会インフラに関わる全ての関係者が全力を尽くしても全く追いついていないというのが実態だった。

自らも現場作業に携わった全清連・三井弘樹会長は、後に「我々にはやれることしかできない」とコメントするが、これは被災地を見て何とかしたいという思いと、各員が自らのプロフェッショナルの分野で全力を尽くすしかないという思いから来ている。いたずらに支援規模を拡大しても被災地の負担が増すだけで、支援に携わった会員らからも皆一様に「放っておけない」「できることをしなければ」などの言葉が聞かれた。

自らも陣頭指揮に立った全清連三井会長

金沢市に拠点設置、作業員のみ週交代

こうした状況で支援活動は、地元業者で対応できない輪島市内に設置された避難所9カ所のごみ収集、輪島・穴水クリーンセンターおよび穴水町ふれあい広場(仮置場)から金沢市東部環境エネルギーセンターへの転送業務が主体となった。

拠点は金沢市(ホテル・ルートイン金沢)で、少しでも効率的な支援を行う観点から、岐阜県清掃事業協同組合から4トンパッカー車2台の提供を受け、運転作業員のみ1週間ごとに交代する方式とした。また支援期間全体を通じて、全清連特別会員の㈱富山環境整備からも4トンパッカー車1台と運転作業員の派遣を受けた。

会員以外からも、支援活動における車両の運行管理の必要性から㈱アクシスのGPS車両管理システム「KITARO」について問い合わせたところ、震災支援であるならばと快く無償貸与をいただいた。

こうした形で支援体制を整え、第一陣は広島県連から7名で1月22〜27日、第2陣は三重県連から5名が1月29〜2月3日、第3陣は大阪府連から6名が2月5〜10日、第4陣は愛知県連から8名が2月12〜17日までを担当した。

道路関係者の尽力により、日に日に交通事情は改善していったが、各隊とも長時間続く大渋滞には最後まで悩ませられた。朝は5時ごろに起床し、6時半までには金沢市を出発。七尾市付近から渋滞がはじまり、そこから輪島市の集積所にたどりつくころには午前10時過ぎとなっている。道中には休憩場所もなく、作業を終えて金沢市の拠点に戻る頃には午後5時〜6時頃となっていた。

被災者からの言葉が活動の励みに

活動のほとんどを移動時間に取られるという非効率な支援とならざるを得なかったが、それでも避難所では心労がたまっているはずの被災者から「ごみ処理に本当に困っていた」など感謝の言葉があり、現場においてはそれが活動の意義の再認識と、何よりも作業員自体の励みになったという。

途中、降雪によって支援を一時中断せざるを得ないこともあったが、期間中の収集回数は92回、収集運搬量は約171トンに達した。

これ以降は地元業者に作業を引き継ぐこととなったが、全清連としては建物の解体が進み、片付けごみの排出が増え、要請があった際には改めて第2回支援について協議を重ねていく方針としている。

能登半島災害支援活動

現場より 令和6年能登半島地震災害支援に参加して

――前述のように全清連は今回の能登半島地震の災害支援活動に、各県連などから第1陣〜第4陣が参加した。各陣からは支援活動に参加しての経験や思い、受けた印象、教えられたことなど様々な声が寄せられている。苛酷な支援活動状況下にあって各陣からは、被災された方々から「ありがとう」「ご苦労様」と何度も感謝していただいたことが一番印象に残っているとの声がほとんどだった。詳細は全清連ニュース111号に譲るとして、以下に現場の声を寄せてくれた各陣メンバーの方々を紹介する。

 ・(一社)広島県清掃事業連合会 野村俊明(44/第1陣メンバー)

 ・(一社)三重県清掃事業連合会 伊藤進相(31/第2陣メンバー)

 ・(一社)大阪府清掃事業連合会 橋本 祥(27/第3陣メンバー)

 ・(一社)愛知県清掃事業連合会 新實勝二(38/第4陣メンバー)

 ・㈱富山環境整備環境事業部次長 石田敦史(47/全清連特別会員・全期間活動)

(詳細については全清連ニュース第111号をご覧ください)