災害支援活動
活動報告
activity

東日本大震災

東日本大震災〜岩手県大槌町に災害救援隊を派遣

ダンプ969台分のがれき等を撤去

平成23年3月11日に発生した東日本太平洋沖地震は、日本観測史上最大のマグニチュード9.0を記録し、東北地方を中心に甚大な被害をもたらした。また沿岸部は地震で引き起こされた大津波により壊滅状態に陥った。このような状況の中、(一社)全国清掃事業連合会は、地域の生活環境の保全、公衆衛生の確保・向上を使命として一般廃棄物の適正処理に従事している立場から、環境省災害廃棄物対策特別本部からの支援要請に直ちに応え、会員、各県連に支援体制構築を呼びかけた。
未曾有の災害を前に、国、県、市町村の連携にも混乱が生じ、実際の支援活動は4月以降にずれ込むこととなったが、全国の会員で組織された全清連の災害救援隊は4月28日〜5月14日まで岩手県の大槌町で活動を行った。市内の至る所に残されたガレキ、廃家財、粗大ごみ等、災害廃棄物の撤去を支援。約3週間で、持ち込みダンプによる運搬台数は延べ969台、運搬量は7752m3に達した。当初は不審の目で見られることもあったが、真摯な作業態度と熱意が通じ、被災者からは感謝の声が多く寄せられるようになった。5月11日には岩手県環境生活部や環境省自然環境局が激励に訪問。また地元マスコミの盛岡タイムスや岩手日報の注目を浴びるまでになった。

28日から大槌町で活動開始

被災地での廃棄物処理状況は、どこも充実したレベルとは程遠く、多くの被災者が困窮している状態であった。特に大槌町では、市街地全域が壊滅状態に陥ったため、他の市町村と比べ復旧に遅れを生じていた。手付かずのガレキの山が町内の至る所に散乱しており、全清連は地元と連携しながら同町で災害支援を行うことに決定。一刻も早い支援が必要とされていたことから、翌週の4月27日には現地へ向かうことになった。
大槌町内では、被災者と協議の上で支援現場を決定。その後、車両15台を2〜3チームに分け、分担することとした。
また作業に当たっては、人力での作業、積み込みが困難な大型廃棄物があることも想定していた。そこでオペレーター付きユンボ3台を手配していたが、当日搬送されてきたユンボはいずれも0.5m3の中型クラス以上であった。市街地はゴミとガレキで埋め尽くされており、作業路の確保もままならない状況を考えると大きすぎて機動性・運用性に欠いている。広範囲にわたる震災の影響で、どの現場もユンボが不足、取り合いになっている状況では、大きさまで配慮して確保する余裕がなかったようである。さらに3台のユンボに対し、2名のオペレーターしか来ていないというハプニングまであった。
しかし地元の方に、中型重機が動けそうな現場を探して手配していただくことで作業を開始することができた。オペレーター不足は、全清連隊員の中に操作できる者が居たため事なきを得た。
一方、支援現場を協議する中で、被災者から不信感を露わにされる一幕もあった。地元避難所の被災住民代表から、第一声で「本当に無償支援ですか?」と聞かれたとのことである。話を聞くと、震災発生直後から今まで、ボランティアと称してNPOや政治関係団体とする団体から、活動後に請求書が送られてくる事件が多発しているというのだ。被災者は多くの支援を求めているが、このようなことでは不信感が先に来るのも仕方ないことである。
全清連という団体の方針・活動等を説明し、さらに地元被災者と同行していたことで信頼を得ることができたが、被災地支援を巡っては、行政の縦割りや業者の縄張り、利権などのほか、詐欺紛いの問題まで発生しているようだ。
その後は避難所で生活されている方々から、次々と支援を求める声があがってきた。全清連はその要請に基づき、家財道具の撤去や住宅地の道路に溜まっている粗大ごみ、家電、汚泥、木くず、プラスチック等の収集運搬を実施した。
また作業を手配していただいた地元の方は「私たちのためにここまでしてくれる団体は他に居ない。何とか応えたい」と個人所有のミニユンボを貸し出してくれたほか、その日の夜に釜石市まで走り、0.25m3のユンボを借りて来た。
しかしこうした活動への被災者の感謝とは裏腹に、ゼネコンの地元下請け業者などからは、非協力的な雰囲気が少なからず漂って来ていた。手配していた重機とオペレーターが無断で別の現場で作業していたり、ダンプ積み込み時の対応に配慮を欠いていたとのことである。
初日を終え、全清連のメンバーが宿泊地に戻った夜のミーティングでは、行政を無視した越権行為を行っていないか?ゼネコンの利権侵害と見なされていないか?といった不安から、今後の支援の方向性について議論が行われた。しかし利権・派閥といった問題はあるが、全清連の活動目的「環境保全の推進」「国民の安心・安全」に立ち返り、被災者が求め、対応が可能なことであれば何でもやるとの決意で一致団結した。
2日目以降は、神社、事業所、個人宅、住宅団地、保育園等と順々に活動。住民の方々から「まともなお礼もできませんが」としながらも、飴やジュースの差し入れと多くの感謝の言葉をいただいた。

5月6日に第二陣へ作業引継ぎ

第一次派遣隊が段取りを済ませ、さらに4名の作業員が残ったために、第二次派遣隊のスタートは好調なものとなった。
第一次派遣隊と同様に盛岡市のホテルを午前6時半に出発、大槌町では5台の重機と手積みで作業を実施した。14日までに、地元建設会社の依頼で、花輪田地区と桜木地区の浸水家屋から家財道具を撤去。大ケロ地区でも途中までしか作業できないのを前提に、一部撤去。また津波が直撃した吉里吉里地区、山田町の水産会社関係、宮古市の水産会社関係から災害廃棄物の撤去を実施した。
宿泊地では、各ブロックごとに班長および副班長を決め、夕食後にミーティング。その日の反省報告と次の日の行程確認作業を実施。朝礼は班長・副班長がその日の抱負を述べ、隊員の士気を高めた。
また班長・副班長は作業中も的確な重機の移動、作業指示を行い、頼れる存在となっていた。数日も経つと、他のメンバーも「効率よく動くため」「少しでも復興に近づくため」という意識が働き、隊全体に良い効果をもたらしていた。
この頃から作業を手配いただいている地元の方から「全清連の活動が評判になっている。あっという間に片付く。凄い連中が来ている」と言われるようになって来ていた。

4日に撤収、東梅副町長と面会

被災地からの撤収は、当初の予定通り14日。午前中で作業を打ち切り、大槌町の東梅政昭副町長へ挨拶に伺うこととなった。
東梅副町長からは「たまたま全清連が片付けてくれたところに、私の家もあった。あれだけのごみがあっという間に撤去されて、全清連の機動力に驚いた」と感謝が伝えられた。
また最後に14日間の作業の慰労と、地元で世話をしていただいた方々へ感謝を込めて慰労会を開催した。
出席した被災者は「20年以上かけて汗水流して築き上げたものが、一瞬にしてすべてを失った。茫然自失していたところに、全清連の皆さんが来てくれて、地元の人々も強者たちが来てくれたと喜んだ。たくさんの勇気をもらえたとともに、将来に向けて、負けてたまるか、という思いが込み上げてきた」との言葉をいただけた。

H23.3.14東北地方太平洋沖地震による災害廃棄物の処理支援への協力について全清連より
H23.3.14平成23年東北地方太平洋沖地震により生じた災害廃棄物の処理への御協力について環境省災害廃棄物対策特別本部 発出
H23.3.14今後の支援へのメッセージ議員連盟 会長 中川秀直衆議院議員 より
H23.3.16東北地方太平洋沖地震の被災地支援について№1全清連より
H23.3.17東北地方太平洋沖地震の被災地支援について№2全清連より
H23.3.17緊急理事会 開催のお知らせ全清連より
H23.3.17計画停電実施時における節電について環境省 廃棄物対策課 発出
H23.3.18東北地方太平洋沖地震の被災地支援について№3全清連より